自分の声種のこと

自分の声種のこと

前回のオーディションの話の中で自分の声種をわかっていない人が結構いると書きました。それに関連して、自分の時のことを書いてみようと思います。

自慢でもなんでもなく、子どものころから歌がうまいと信じていて、クラス合唱の時にソロを歌ったりしていました。今考えると器用な子どもだったんだと思います。一応ピアノも習っていたので音感も悪くなかったですし、そういうことをしていない子どもよりは正確に歌えたのでしょう。器用というのは、色んな声を真似して歌えていたのです。演歌もアイドルの歌も童謡も、どれもそれらしく歌ってしまう、そんな感じでした。中学で合唱部のパート分けをするのに、アルトからソプラノまでの音域を全部カバーして歌えたので、人数が少なかったソプラノになった、ということもありました。一見なんでも歌えて良さそうですが、これがその後の自分の声種を知るための障害になるとは思いもよりませんでした。

高校の音楽部でもソプラノでしたが、部活で歌う合唱曲や音楽の授業以外のクラシック音楽はよく知らない、オペラなんか聴いたことも無いという高校生でした。それなのに音大を受けようと思ったのは、続けて歌の勉強をしてみたいと思ったからです。しかし音大の声楽科に行こうというのに普段聞いているのはユーミンや谷山浩子、マドンナなどの歌謡曲や流行りの洋楽でした。当時の私はクラシック音楽は楽しむものというより勉強するものだったのです。

短大の音楽科に入ると時々コンサートやオペラに行くようになりました。勉強している曲はイタリア歌曲やトスティなどの歌曲、モーツァルトやシューベルトのドイツ歌曲、そしていくつかのオペラアリアというところで、曲の内容と意味を調べて、発音を習って、メロディーを覚えて歌う練習をしていました(今もやっていることはほぼ同じですが)。先生の元で発声法もしっかりと習っていました。オペラは観に行くようになりましたが、観たオペラと自分が勉強しているオペラアリアが実感として繋がっていたかというと、そんなことは無く、実際のオペラは別世界だと感じていました。

高校から師事していた短大の先生は発声法に厳しかったのですが、3年次から編入した音大での先生は表現に重点を置いた指導をされました。私の器用さはそこで変に作用していくようになったのです。この当時、実はまだ私の発声法はちゃんと身についていませんでした。しかし変に器用だったため、軽い曲を歌うときは軽く歌い、重い曲は太く重い声で歌うということをごちゃ混ぜに練習していたため、自分の本当の声が何だかわからなくなってしまったのです。今なら絶対歌わない、アイーダのアリアを試験で歌ったりしていました。ただ、大学院の頃に外部のオペラ研究所に平行して通うようになり、そこの先生が私の声は軽いソプラノだと言ってそのような役で指導してくださったので、迷いがだいぶ無くなってきていました。

それまでは自分の声はどちらかと言うと大きくて太いと思っていましたし、フィオレンツァ・コッソットが好きで、将来はあんなメゾソプラノになりたいと思っていました。あの頃は年をとれば声ももっともっと太くなると思っていましたが、今の感じだと60歳になってもそんなに太い声にはなりそうにありません。生まれつきの声というのはそうそう変わるものではないようです。私の場合、アイーダなどは無意識にムリして太く聞こえるように歌っていました。本人にはムリをしている自覚があまりなく、アイーダを歌うと高音が出にくくなるなぁくらいのものでしたが、そのまま続けていたら今ごろ喉が潰れていたことでしょう。

大学院を卒業後、オペラに出たりコンサートをしたりしていましたが、まだ勉強が足りないのはわかっていたので、ドイツで開催された声楽の講習会へ参加しました。知らない先生でしたが、講習会では色々勉強になり、先生にも気に入っていただけたので、この先生のところで勉強しようと思い、ドイツへ渡りました。先生は当時はデトモルト音大で教鞭をとりつつ、劇場でも現役で歌っているコロラトゥーラ・ソプラノのオペラ歌手でした。この先生の元には週1-2回で1年通い、主に発声とオペラアリアを勉強しました。その後、ミュンヘン音大へ入って勉強しましたが、音大の教授から発声に関してはほとんど指摘されませんでした。それで音大終了後に評判の良かった外部の先生のところで主にイタリアの発声法を習いました。

ザールラント州立劇場のオペラ合唱団員として就職してから最初の数年は発声の先生のところへ時々通っていましたが、それ以降は特にどこかへ習いに行ってはいません。私の声種が軽いソプラノだと決まったのはドイツの最初の先生のところで、です。声種の判断は習っている先生にしていただくのがいいのですが、その人本来の声で判断しなければなりません。昔の私のように、ムリをしてドラマチックな歌を歌ったりしないように、反対に体が使えていない口先だけの声で軽い歌ばかり歌ったりしないように。

今手元に無いのでうろ覚えなのですが、確か有名な歌手の本に、発声法を習っている間は毎日のレッスン以外で歌うのを禁じられていたが、発声法をマスターしてからはどんな曲も自由に歌えるようになったと書いてありました。発声法を習っている間はレッスン以外で歌うの禁止なんて無理だと思っていましたが、今思うと確かにそれが最短確実に歌が上手くなる方法だとわかります。レッスンで習ったことを自己流で練習したり、適当に好きな歌を歌ったりしているとせっかく習ったことも次までに忘れてしまったり、変な癖がついてしまうからでしょう。実際にここまでの英才教育を受けられる人は少ないわけですが。

合唱だと声に合っている合っていないにかかわらず色々なタイプのオペラを歌うので(ソリストはふつう自分の声にあった役を選んで歌います)、私みたいな、つい曲に合わせて声を作ろうとする人には危険な職業です。自分の本当の声を見失うかもしれないからです。その点、発声にブレが無い人たちは何を歌っても本人の声で歌えるので問題がありません。合唱の同僚にはそういう人が多いです。話し声と歌声にほとんど差が無く、発声に無理がないのです。

日本語は口先で話す言葉で、話す時に口蓋や顔面の響きを使うようなことはほとんど無いため、話し声と歌声が全然違う人が多いと思います。その点、イタリア人などは話し声と歌声の差があまり感じられません。ドイツ人も母音の発音が深いので、話し声と歌声が近い感じがします。話す言葉によって声の出し方が変わるのは面白いです。日本人に発声が浅い人が多いのは、日本語のせいなのでしょうね。